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二章:湖城の秘密 その7

 ホームに長らく停車していた汽車が、大きな汽笛の音で出発の時を告げます。
「フィドル、ショルキー経由シター行き、間もなく発車します!見送りのお客様は窓やドアから離れて下さい!」
 駅員が拡声器で注意を呼びかけているところへ、すごいスピードで走り寄って来る一つの、いや二つの影。
 駅員の前でぴたりと止まると、肩を激しく上下させながらチケットを差し出します。
「す、すみ、ませ、ん……のせ、乗せて、くだ、さい」
 差し出されたチケットは確かにこの汽車のもの。
 駅員はちらりと時計を確認。すると発車予定時刻を三十五秒ほどオーバーしています。
「お客さん、もう発車の時間はとっくに過ぎてるんで、次の汽車に……うわっ!」
 うんざりした顔で答える駅員に、金髪お下げの少女が掴みかかりました。
「これに、乗らない、と、試験が!試験が受けられ、ないんです!」
 腕にがっちりとしがみつき、決死の目で訴える少女、もといアリーチェ。
 ちなみにぴよぷーは、アリーチェの背後から猛禽類の目で駅員を見つめています。
 駅員の背筋がぞわりと粟立ちました。
「わかった!わかったから離してくれ」
 ぱっとアリーチェが腕を離すと、駅員は手近な車両のドアを開けて中に入るよう促します。
「使い魔は手荷物になるんじゃあ」
「本当はそうだけど、時間がないから中で巡回している乗務員に言ってくれ。
 それまでは静かにさせているように」
「わかりました!ぴよぷー、行くよ」
「今度から気をつけてくださいよ」
 アリーチェとぴよぷーが乗り込んだのを確認し、ドアを閉めた駅員は冷や汗を拭います。
「なんだあの殺気は……最近の絵師は恐ろしい使い魔を連れ歩いているのか……。おっといかんいかん、発車させないと」
 軽く頭を振ると、再び拡声器を手にします。
「発車します!見送りのお客様は窓やドアから離れて――」

 のろのろと動き出した汽車の中、ドアにもたれてアリーチェが大きく息を吐きました。
「はぁー、なんとか間に合った……苦しい……」
 そう言って満腹のお腹をさすります。
「さて、座席を探さないと」
 チケットに書かれた番号と車両の番号を照らし合わせ、自分の座席を探し出します。
 王都へ来る時に乗った汽車とは違って個室ではなく、二つずつの座席が左右にずらりと並ぶ中を進むと、ありました。
 既に窓側の席にはリズが着席中。眼鏡をかけて何やら小難しそうな本を読んでいます。
「リズさん、隣座りますね」
 鞄を足元に置き、座席に座ってぴよぷーを膝に乗せるとようやく落ち着くことができました。
 リズはちらっと横目でアリーチェを見て一言。
「なんだ、間に合ったの?てっきり乗り過ごしたかと思ったわ」
「はい、ギリギリのところを駅員さんに頼み込んでなんとか」
「それで発車が遅れたわけね……。
 で、遅れた理由は?」
「それは……ちょっと」
 まさか、昼食のバイキングを調子に乗って食べ過ぎたせいとは口が裂けても言えません。
「まあ、結果的に乗れたのだから構わないけど。
 口、ソースがついてるわよ」
「えっ!?」
 慌てて口元を指で拭うアリーチェ。
 見るとホワイトソースがついていました。舌でぺろりと舐めとると、旨みと香りが口の中に広がります。
 オリジナルソースのサラダ、とろとろのコーンスープに浸して食べるふわふわで香ばしいパン、海の幸のたっぷり入ったドリア、香草の香りがふわりと広がるパスタ。
 どれも絶品でした。
 ――ああ、また食べたいなあ……。
 アリーチェが食べ損ねたメニューに思いを馳せていると、小難しい本に視線を落としたリズから皮肉のこもった一言を浴びせられました。
「確かに王都は美味しい食べ物が色々あるし、食い意地もいいけれど、与えられた任務はきちんとこなしてね。
 じゃないとあたしにまで迷惑がかかるから」
「う……あう……はい」
 とっくにばればれでした。
「あ、あのうところで」
 気を取り直して任務の件について質問をぶつけます。
「今回の件、わけのわからないまま決まっちゃったから、犯人のこととか全く知らないんですが……」
 リズは読んでいた本をぱたんと閉じ、眼鏡を外してアリーチェに向き直りました。
「そういえば、そうね。
 受験者だしあまり詳しくは話せないけれど……ちょっと待って」
 リズは革の鞄に本を片付け、代わりに分厚いファイルを取り出してアリーチェに手渡します。
 しかしアリーチェの膝の上は居眠り中のぴよぷーがすっかり占拠してしまっていて、ファイルを開ける場所がありません。
 仕方なく、ずしりと重いファイルをぴよぷーの頭の上で開くことにしました。
「ぴよぷー、ちょっと頭の上借りるわね」
「……Zzz」
 声をかけても、ぴよぷーはぐっすり寝ていて起きる様子がありません。
 アリーチェは起こさないよう慎重にファイルを頭の上に載せると、表紙をめくります。
「その男がガブマース。五年前の紹介状の写真だから、実際にはもう少し年を取っていると思うけれど」
 ファイルには、浅黒い肌に琥珀のような色の瞳、そしてぼさぼさの黒い髪をした二十代後半ぐらいの男の写真が貼り付けられてありました。
 アリーチェは顔の特徴を覚えようと写真をじっくり観察し、リズは概要について説明を始めます。
「出自不明、本名不明。 絵師試験の一次、はいつも合格していて、二次、絵師に適した性格かどうかを見る部分で落ち続けること数十回」
「す、すうじゅう」
 ちょっと理解のできない数字です。
 普通ならば五、六回程度でセンスがないのだと気づいて諦めそうなものですが、よほど諦めが悪かったのでしょうか。
「そう。そして去年の秋の終わり頃からぱったり試験を受けに来なくなって、同時期から王都周辺で絵師が襲われる事件が連続して起こるようになった」
「それは……怪しい」
「わざとらしいぐらいにね。落ちた腹いせのつもりか、それとも別の目論見があるのかはわからないけれど。
 協会としても初期から目星をつけて調査していたんだけれど、ようやく逮捕できるだけの証拠が揃ったみたい」
 秋の終わりからと言うと、もう半年ほど経っていることになります。
 目星がついていて、それでも証拠が揃うのに時間がかかったということは、余程の慎重派か、それともかなりの腕前の持ち主か。
 どちらにせよ、気を引き締めてかからなければいけないようです。
「で、一番重要なのは次のページ。めくってみて」
「次のページですか?」
 リズに促され、ファイルのページをめくったアリーチェの表情が固まります。
「……う、わぁ、これは」
 そこに並んでいたのは、たくさんのネズミ達の写真でした。
 色や柄、サイズも様々なネズミ達が、黒目がちな瞳で揃ってこちらを向いています。
「ガブマースの使い魔よ。全部で二十三匹。
 思考とか、嗅覚、聴覚、視覚なんかがリンクされていて、広範囲でのレーダー役として使うのに最適ね。
 ということで廃城内にも当然配備されているだろうから、向こうに着くまでに覚えること」
「これ全部をですか!?」
 驚きつつファイルに視線を戻すアリーチェ。再び、二十三匹のネズミ達と見つめ合います。
 別にネズミは苦手ではありませんが、こうも大量に揃ってこちらを向かれていると、さすがに気持ち悪いものがあります。
「たかが二十三匹じゃない」
 リズが呆れた声を出します。
「相手にこっちの動きを極力悟られないために、見つけたら即捕獲する。
 そのまま連れ歩くわけにもいかないから、見張りをつけてどこか適当な小部屋でまとめて監視。監視要員はエレンに頼んで一人つけてもらったから、向こうで合流するわよ」
「ということは、三人で?」
「そうよ。あたしもまだ誰が担当になったのか知らないけれど、ちょうど向こうに駐留している絵師がいたみたいね」
 さて、説明はこんなものかしら、と言いながらリズが腕時計を確認します。
「あと――十分で頑張ってネズミの特徴を覚えること」
「え!?あと十分!?」
 まだ汽車が発車して五分ほどしか経っていません。
 王都とフィドルはそう離れていませんが、とはいえ、まさか十五分で着く距離だとは思ってもいませんでした。
「急がないと時間があわわわ」
 えいやっと覚悟を決め、ネズミリストを見つめます。
 灰色のネズミ、白くてとても小さなネズミ、白黒ぶちの大柄なネズミなど、つぶらな瞳でこちらを見つめるネズミ達。
 ネズミ達は自ら悪事を働いているのではなく、悪事に利用されているだけ。そんな罪のない彼らの姿を記憶し、捕獲せねばならないとなると、少し心が痛みます。
「ううっ見ないで」
 とにかく、順に覚えていくしかありません。
「何か、覚えやすい案は……」
 茶色いネズミ、白いネズミ、などと覚えていてもイマイチピンと来ません。
「名前……そうだ、名前」
 とにかく、適当でも判別できれば良いのです。外見の特徴から、一匹一匹に名前をつけて覚えることにしました。
 例えば真っ白なネズミならシロ、白黒ぶちのネズミならモーちゃん。何の捻りも面白みもない名前ですが、与えられた時間はたったの十分。
 覚えやすさ、思い出しやすさ優先で二十三匹全部に名前をつけると、リズに許可をもらって、ファイルの写真にペンで直接名前を書き込みました。
「よし!これなら、なんとか」
 ペンを置くと、左上から順に、大小様々、色とりどりのネズミ写真を見ながら名前を頭に叩き込みます。
「シロ、ミケ、モーちゃん、クロ、まだら……」
 真横から冷たい視線を感じながらも、ただひたすらに名前を音読していきます。
 二十三匹の名前をとりあず一通り音読すると、目を瞑って名前を姿の両方を思い出せるかを試します。
 そして出てこなかった名前をもう一度写真を見て確認し、また目を瞑っては思い出すの繰り返し。
『間もなくフィドルに到着します、お降りのお客様は――』
 ようやく滑らかに姿と名前を思い出せるようになった頃、狙っていたかのように車内アナウンスが鳴り響きます。
 到着までになんとか間に合ったことに胸を撫で下ろしつつ、ファイルを閉じてリズに返します。
 ついでに視界に入った車窓から、大きく広がる湖と、その奥にどっしりと構える古びた城が見えました。
 現在のファーゴット城は高さのある造りになっていますが、古い王城は二階建てか三階建てといったところ。代わりに横幅がかなりあり、各階が広そうです。
 そしてファーゴット城との違う点がもう一つ。ファーゴット城がレンガで造られているのに対し、こちらは乳白色の石を削って造られているようで、古い建物ということも相まり荘厳で、威容のある雰囲気が漂っています。
「わあ、あれが」
「フィドル湖と旧王城ね。
 そろそろ着くわよ。停車時間が短いからドアの前で待ちましょう」
 返されたファイルと読んでいた本をしまったリズが立ち上がりました。
「ぴよぷー、起きて」
 アリーチェはぴよぷーをそっと優しく揺り起こします。
「ぷー……ぴぃぴぃ……ぴ?」
 小さくいびきをかいていたぴよぷーが眠そうに瞼を開きました。
「着いたよ」
 アリーチェがそう言うと、ぴよぷーはまだ寝ぼけているのか、アリーチェの頭の上に陣取ろうとします。
「だから、目立つからやめなさいってば」
 アリーチェはそんなぴよぷーを無理やり抱きかかえると、足元の鞄を手にドアへと向かいます。
「順調に行くといいのだけれど」
 どこか脳天気に構えるアリーチェと、そんなアリーチェを見て呆れた顔で呟くリズ。
 二人を乗せた汽車はフィドルの駅舎へと乗り入れます――。
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