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二章:湖城の秘密 その6

 リタルダンドのとある一室。
 開け放たれた窓から、朝の爽やかな風が優しく吹き込んできます。
「ん……あれ?」
 いたずらな風に頬をくすぐられ、アリーチェはまだ重たい瞼をこすりながら起き上がりました。
 どうやら、とろけそうなほど美味しい夕食を味わった後、シャワーも浴びることなく寝てしまったようです。
 知らずのうちに疲れが出ていたのでしょうか。
 窓の外は快晴。お日様が建物の影からちらりと覗いています。
 確か今日は、最終試験の説明が朝からあったはずで……。
「わあぁぁぁ!?」
「ぴいぃ!?」
 突然の大声に、そばで寝ていたぴよぷーが飛び上がらんばかりの勢いで跳ね起きました。
「遅刻!遅刻しちゃう!」
 旅行鞄から服を抜き取り、大急ぎで着替えます。
 予定では余裕を持って起床し、顔を洗って美味しい朝食を食べて、満足しきったところで悠々と協会へ向かうはずでした。
 これでは朝食どころではありません。
「ぴよぷー、朝ご飯なくていい?」
「ぷー」
 全力で拒否。
「えーとじゃあ、大通りで何か買ってあげるから!」
 洗面台でバシャバシャと顔を洗っていると、ボサボサの三つ編みが目に入ります。
「うーあー!帽子で隠……だと脱がなきゃいけないか……ええい!」
 荒々しく三つ編みを解き、手早く編みなおします。多少歪になってしまいましたが、見なかったふりをして帽子を被りました。
「ほらぴよぷー鞄持って!」
 ショルダーバッグをぴよぷーのトサカに引っ掛け、自らも黒板の紐を肩から提げます。
「鞄よし、道具よし、鍵……よし!」
 机の上の鍵をむしり取ると、部屋を飛び出しました。
 横道から大通りに出て、ぴよぷーのために串焼きを、ついでに自分用にサンドイッチも買い、口に放り込んで小走りで人込みをすり抜けます。
 絵師協会の前に着くと、残りのサンドイッチを無理やり飲み込んで扉を開け、受付へ。
 エレンとの挨拶もそこそこに説明が会長によって行われると知ると、アリーチェはぴよぷーを受付で預かってくれるよう頼みます。
 会長を一目見ると倒れる理由がわからない以上、あまり対面させるべきではありません。
 ぴよぷーも大人しく受付に残ることを了承してくれました。
「じゃあ、お願いします!」
 そう言って階段を駆け上ろうするとエレンに声をかけられます。
「アリーチェさん、説明は四階の会議室よ!一番手前の部屋!」
 あまりの慌てっぷりに、どこの部屋かを聞くのを忘れていました。
 アリーチェは振り返らずに手でお礼をし、一気に四階まで駆け上ります。
 小走りで指定された部屋の前へ着くと、立ち止まって息を整えます。
 ドアノブに手をやると、ドアを押し開くと共に深々と頭を下げました。
「申し訳ありません!遅刻しまし……」
「どうしてあたしが試験の手伝いなんか!」
 アリーチェの謝罪の言葉に、誰かのイライラとした少女の声が重なりました。
 思わず頭を上げると、振り返った声の主と目が合います。
 頭の高い位置でまとめられた銀髪、碧玉のような透き通った瞳はあからさまに怒りに染まっており、苛立っているのが一目瞭然です。おそらく、アリーチェよりも二つ三つ年上でしょう。
 そしてもう一つ特徴的なのが、少女が肩に乗せている使い魔でした。
 白黒の縞々尻尾がだらりと床につくほど伸びており、時折ひくひくと左右に揺れています。少女と同じように苛立っている様子です。
 はて、この組み合わせ、どこかで見たような見ていないような……。
「おお、来たね。さあ二人とも座って座って」
 アリーチェが答えにたどり着くより先に、奥にいたウォルターから声がかけられました。
 少女はフン、と鼻を鳴らすとさっさと身を翻し、ソファに座ってしまいます。
「あのう、遅れてすみませんでした」
 アリーチェもソファの前で再び頭を下げ、少女から少し離れた位置でソファに体を沈めます。
 ウォルターの今日の格好は、赤地に黒の斑模様のどぎつい色をしたローブを羽織り、髪や髭は真緑色をしています。
 毎日頭や髭を染めているのでしょうか……。頭皮が心配です。
「急なハードスケジュールを組んだのは僕だからね。疲れが出たんだろう」
「そんなの言い訳よ。あたしだって昨日日が沈むまで任務に携わって深夜便で帰ってきたんだから。
 任務を途中で放り出すなんて初めての経験だわ」
 刺々しい言葉が浴びせられます。アリーチェはただただ体を縮こませて座っているしかありません。
「まあまあ、喧嘩はそこまでにして」
 ウォルターはにこにことしながら、一冊のバインダーを取り出しました。
「これが今回、君に与えられる試験の内容だよ」
 そう言ってウォルターがバインダーの表紙をめくります。
 そこに写っているのは、人気のないお城らしき大きな大きな建物。
「古い……お城ですか?」
 アリーチェの言葉に、ウォルターが頷きました。
「そう、その通り!フィドルにある廃城だよ。
 サロニア様の曽祖父の代まで使われていたんだけれどね。今では観光地になっている」
 三代前となると、結構な年代のはず。その割に外観はとても綺麗に見えます。時折修復工事が行われているのでしょう。
 修復工事の前のチェック作業でしょうか?だとしたら、そこまで手がかからずに済みそうです。
 アリーチェが内心ほっとしていると。
「反対です。中は崩落の危険性から立ち入り禁止のはず」
 前言撤回。
 崩落……つまりいつ天井や床などが崩れてもおかしくないということ。
「え、えーと、お城で何を?」
 アリーチェは引きつった笑顔で尋ねます。
「そうそう、そこがポイント。
 最近噂になっている違反絵師を捕まえてきて欲しいんだ」
 違反絵師。捕まえて来る。となると確実に魔法で多少やりあったりするであろうことが予想されます。
 しかもよりによって崩落の危険性のある建物の中で。
 話が随分大きくなってきました。
「ほらこいつ」
 ウォルターがバインダーのページを更にめくり、写っている男を指差しました。
「ガブマースだよ。リズくんなら知っているだろう」
 リズと呼ばれた少女が眉を吊り上げました。
「何考えてるんですか会長!」
「アリーチェくんとリズくんへの期待の大きさ故だよ」
「ふざけるのもいい加減にしてください!」
 二人の言い合いをよそに、アリーチェはリズという名前を聞き、唇に手を当ててうんうんと悩み始めます。
 リズ……リズ……。
「あー!」
 そう、思い出しました。十年前、おじいさんの試験でリロフォンに一人で買い物へ出かけた時、いきなり使い魔勝負を挑んできた銀髪の少女。
「な、なんだい」
「急に大きな声を出さないで」
 言い合いを中断し、アリーチェに注目してくる二人。
 アリーチェはリズの手をおもむろに握ります。
「リズさん!お久しぶりです!」
 リズは一瞬ぽかんとした表情になった後。
「あんたまさか今まであたしのこと忘れて」
「すみません、十年ぶりだったので……」
「しんっじらんない!同業者の顔を忘れるなんて」
 再び眉を吊り上げ、吐き捨てます。
「なんだい、君達知り合いだったの?」
 ウォルターの茶々にも反応するそぶりはなく、アリーチェの手を振り払って続けます。
「あたしがあの時負けてどれほど悔しい思いをしたか」
 ふと、ウォルターの目が面白がるように細められました。
「ん?負けた?」
 リズのしまった、という顔。
「負けたってどういうこと?」
 ウォルターがアリーチェに尋ねてきます。
 アリーチェは考える時のいつもの仕草、唇に手を当て、上を向いてたどたどしく話し始めます。
「え?えーと、十年前、おじい……祖父に『弟子にしてやるための試験だ』って言われて、一人で森を抜けて、村へ買い物に行った時」
「ほうほう」
 話しているうちにだんだんと思い出してきました。
「確かパン屋さんで買い物してたら、急にリズさんがお店に飛び込んできて、勝負しろって……」
「それで?」
「何が何だかわからなかったんですけど、連れていた使い魔同士でレース対決をする羽目に……」
「へぇ~ふぅ~ん。面白いねぇ」
 ウォルターはニヤニヤと笑いながら、すっかり硬い表情になってしまったリズへと顔を向けました。
「規約違反だね?」
「う……」
 リズのさっきまでの不遜な態度はどこへやら、傍から見ていて可哀想なほど顔が真っ青になっています。
「免許を持たず師に仕える未熟絵師は?」
 ウォルターからにこやかな顔でぶつけられる質問に、リズは沈んだ声色で答えます。
「師の許可なく魔法の使用、及び使い魔の使役を行ってはならない……」
 アリーチェでも知っている、絵師を管理する規約の基本の基本です。
「そう、その通り!だけど君は違反行為をしてしまった。
 確か十年前には既に父君からそのラプトくんを譲渡されていたね?」
 リズは問いかけるウォルターから視線をはずすと、俯いて否定します。
「それは……記憶にありません」
 と、その時。
「ラプト、リズガウマレタトキカラズットイッショ」
 それまでリズの肩の上に座って黙りこくっていたラプトが急に声を出しました。
「ラプト」
 リズがラプトを責めるような声を出しますが、ラプトはそんなリズの声から逃げるようにぴょんとテーブルの上にジャンプすると、三人に注目されながらも続けます。
「ラプト、リズノモノ。コレマデモコレカラモズットリズノモノ!」
 リズがため息交じりにラプトをたしなめます。
「ラプト、黙りなさい」
 たしなめられたラプトは、すがるような目でリズをじっと見つめます。長いしっぽを不安げに自らの足元に巻き付け、ぴんと張っていたはずの白いヒゲはだらりと垂れ下がって、とてもしょんぼりとした声を出します。
「ダッテ、ダッテ、リズウソツイタ。リズハ、ラプトノコトキライ?」
「嘘なんてついていないわ」
「ラプト、リズガウマレタトキカラリズトイッショ。リズモ、シッテルハズ」
 つまり、ラプトはリズの記憶がないという発言を責めているようです。
 ウォルターが、はははと笑いながら話を進めます。
「やあ、意外な援軍だね?
 つまり、生後間もない頃に譲渡されていたという意味でいいのかな?」
 リズもついに降参したのか、苦笑いのような、困ったような顔で答えます。
「お聞きの通りです」
「うん。譲渡されていたのなら、連れ回したりするのは自由だろう。
 けど、連れ回すのと使い魔として行使するのとでは意味が違ってくる。
 ちなみに、アリーチェくんはどうして使い魔を連れていたんだい?」
 問われて思い返そうとするアリーチェ。
 確か、一人だと危険だから護衛に連れて行け、と言われた気がします。
 そのことを伝えると、ウォルターは頷いて更に話を進めます。
「つまり、アリーチェくんは何か問題があれば遠慮なく使い魔を使役してもいい状態だったわけだ」
「は……はい」
 鈍感なアリーチェにもなんとなく話の流れが読めてきました。
 しかしアリーチェはまだ登録すらされていない未熟絵師。
 世界をまたにかけて旅をするという野望のためにも、こんなところでつまづくわけにはいきません。
 リズが可哀想だとは思いつつ、ウォルターの言葉に同調します。
「いやあこれではアリーチェくんを罪に問うことはできないなあ。
 ……さて、リズくん、アリーチェくんの試験の手伝い、やってくれるね?」
 手伝わなければ、十年前の違反について処分を下す。ウォルターの楽しげな瞳はそう語っています。
 リズは仕方ない、といった風に首を縦に振りました。
「はい。会長の悪知恵と運の悪さに負けました」
 ウォルターはくすくすと笑いをかみ殺しながら立ち上がりました。
「よし!そうと決まればさっそく出発してくれたまえ。
 今から準備しても昼下がりのフィドル行きの汽車には間に合うだろう。
 ほらこれ、チケット」
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