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二章:湖城の秘密 その8

 太陽はすっかり地平線の下。空には三日月が浮かび、きらきらと星が瞬いています。
 夜の団欒の時間はとっくに過ぎ、遅くまで騒がしかった町がようやく落ち着きを取り戻した頃、フィドルの町外れ、閉鎖中の廃城へと続く城門の前に怪しい影がありました。
 緊張した面もちのアリーチェ、険しい表情のリズ、夕方の散歩のおかげで随分と機嫌の良さそうなぴよぷー、リズにぴったりと寄り添うラプト、町で合流した増員の男性絵師、はくばん使いのハミット。
 三人+二匹のガブマースを捕獲するために集まった面々と、それから城門を監視していた国軍絵師のヒルドです。
 アリーチェは動きやすさを考え、白いシャツにホットパンツのいつもの格好。首からこくばんを提げ、各色一本ずつのチョークをポケットにつっこんでいます。
 リズは赤いリボンタイのついたシャツに、白いフリルスカート。それからラプトの尻尾とお揃いな白黒のタイツを履いています。アリーチェと同じように首からはくばんを提げ、ペンは胸のポケットに。
 ハミットは二人よりも随分と年上の二十八歳の男性です。健康そうな褐色の肌に、男性にしては随分と長い茶髪、そして銀縁の眼鏡をかけています。服装は白いシャツに黒いデニムジーンズというシンプルな格好です。
「さて、それじゃあ見回りも済んだことだし鍵を開けるわよ。城につくまではこれを被って」
 指揮を取るリズが、鞄から薄手の黒い外套を取り出しました。
 頭からすっぽり羽織り、闇に紛れて、城から見張っているかもしれない相手の目から逃れる作戦です。
 リズとハミットはその場で素早く外套を羽織り、胸元のボタンを留めてあっと言う間に準備完了。
 ところが、アリーチェは緊張のあまり体がガチガチに固まってしまい、うまくボタンを留めることができません。
「何をもたもたしているの?」
 リズに険しい顔で見つめられ、アリーチェは泣きそうな声で答えます。
「すみません、緊張で手が震えて……」
 するとリズが表情を緩めてため息を一つ。
「まあ、初手からこんな危険な任務につかされているんだから仕方ないわね。全く、あの会長は……」
 今回の任務をセッティングした会長に毒づきながらも、アリーチェに手を伸ばし、胸元のボタンを手際良く留めました。
 アリーチェも、まさか試験の段階で命の危険が及ぶような場が用意されるとは想像していませんでした。
 おじいさんの修行で多少の荒っぽいことも経験しましたが、それでも人間相手に魔法を使ったことはあるはずがなく。また、明確な殺意を持った魔法を向けられたこともありません。
 いざ、ガブマースを前にした時、正しく魔法を使うことができるのか。少々、いや、かなり不安です。
「それから、そのひよこは目立つから、城に着くまでは外套の下で抱いていなさい」
「わ、わかりました!
 ぴよぷー、おいで」
 アリーチェは地面をつついて遊んでいたぴよぷーを呼び寄せます。
「静かにしているのよ」
「ぴぃっ!」
 わかった、とばかりに大きな声の返事が返ってきて、慌ててくちばしを押さえます。
「だから、静かにしてって。ただでさえあんたの声は甲高くて響くんだから」
「ぴぃ……」
 しょんぼりと落ち込み、ようやく静かになったぴよぷーを、外套の内側で両腕を使ってしっかりと抱えます。
「はは、元気な使い魔だね」
 そういって笑うハミットには使い魔はいません。
 使い魔を用意するには技術も勿論のこと、膨大な費用がかかります。
 アリーチェやリズのように師匠から譲り受けるのでなければ、そう簡単に手に入れることはできないのです。
 そういえば、汽車で見たファイルによるとガブマースは数多くのネズミを使い魔として従えている様子。
 あの数を揃えるお金があるのなら、一生を遊んで暮らせるほどの大金持ちのはず。羨ましい限りです。
「すみません、騒がしくて」
「それだけ元気なら、毎日退屈せずに過ごせるんじゃない?」
「退屈はしませんけど、なかなか言うことを聞いてくれないので大変です」
「そこを含めての家族みたいなもんだろう?」
 使い魔談議に花を咲かせる二人を置いて、リズはがっちりと施錠された城門へ近づきます。
 見た目は南京錠のような形をしていますが、使い魔と同じちょっと特殊な技術で作られたもので、普通の人では何をしようが絶対に開けられません。
 と、城門を向いていたはずのリズが、はくばんを手に振り返りました。
「アリーチェ、これが何かは知っている?」
「え?あ、その鍵ですか?
 確か、”封印錠”……ですよね?
 おじいちゃんが簡単に作ってくれたものしか知らないので、こんなに複雑なのは見たことがありませんが……」
「では、開錠方法は?」
「えーと、設定されている鍵の絵を、そっくりそのまま描いて発動させる。
 その時に少しでも間違えたり、線が歪んじゃったりすると失敗になる、はずです」
 アリーチェの答えに、リズは満足そうに頷きます。
「その通り。プラス五点ってところね。
 今開けるからしばらく待っていて」
 リズは協会から提供された資料の絵を元に、筆先が針のように細いペンを使ってごちゃごちゃと込み入った迷路のような絵を描き始めました。
 所々に散りばめられている複雑な記号や、クセのある崩し字で書かれた文章までもが完璧な再現度で、しかも資料を手本に模写をしているとは感じさせないほどのスピードで描き上げられていきます。
「す、すごい」
「これは早いな」
 アリーチェやハミットが感心しながら見つめていると、二人の会話を聞いていたリズが口を開きます。
「あたしが得意としているのは”早く描く”事よ。
 いざと言う時にもたもたしていては危険でしょう。できたわ」
 資料の絵と瓜二つ、緻密に描き込まれた絵を手に、リズが魔法を発動させるための呪文を唱えました。
「”ライズ”!」
 リズの声をきっかけに、城門は小さくガラスの割れた時のような音を立てて開きます。
「よし、開いたわ。城まで走って。
 それからヒルドさんは、全員が門をくぐったらもう一度鍵を閉めておいて」
「了解です。皆さんの健闘を祈ります」
 リズは資料の絵をヒルドに手渡し、足元にいたラプトを抱き上げると、薄く開いた城門の隙間をすり抜け走って行きます。
 この門をくぐれば、その先はもう敵地。更に緊張が高まり、既に早鐘を打っていたアリーチェの心臓は爆発寸前。額にはじんわりと汗がにじんでいます。
「僕は一番後ろから行くよ。アリーチェさん、先にどうぞ」
「で、ではお先に」
 震える手足に気づかないふりをして、アリーチェも城門をくぐって走り出しました。
 目指す廃城は真っ直ぐ目の前。空に浮かぶ三日月の澄んだ光に照らされ、白磁の身を夜闇に晒しています。
 間には軽く五百メートルはあろう湖が構えているため、服を着たまま泳いで渡るわけにもいかず、迂回して向かう必要があります。
 その上を歩けば確実に目立つ観光客用の遊歩道を避けて、背丈ほどもある草むらをひた走ります。
 幸い、全身を覆うように外套を羽織っているため、鋭い草が肌を傷つけることはありません。
 暖かいぴよぷーを胸元に抱きながら走っていると、始まってしまった試験への不安が膨れ上がっていきます。
 今回の任務の概要は、こちらと同じ魔法使い、しかも技術力が高く性格に難のある人物を、廃城の被害を最小限に食い止めて命を奪わずに捕まえる、というもの。
 とても広く、おまけに暗い夜の廃城内をしらみ潰しに探していくしかないこちらに比べ、どこかで隠れて待ち伏せするだけで良い相手は圧倒的に有利な状況となります。
 リズいわく、ガブマースは一般には公開されていない、奥まった場所にいるだろうとのこと。
 しかし観光客の目撃情報によりこの廃城への人の出入りが制限されたのは一昨日話。その後は厳しい監視下に置かれていましたが、城門や城壁からこのエリアを出入りする人影は目撃されていません。
 相手もこの異常には気づいているでしょう。何かしら対策が打たれるであろうことは予測済みのはずで、思わぬ場所で待ち伏せしている可能性は十分にあります。
 建物を壊せる場合は話が簡単ですが、歴史的価値があり、地域観光の要でもある建造物を粉々にはできません。
 廃城の外へとおびき出す、または追い出すことができれば魔法の制限はなくなりますが、それはそれで相手に逃げ道を与えることになってしまいますし、下手をすれば町の人に危険が及ぶかもしれません。
 さて、どうしたものかと頭を悩ませていると、草むらが途切れ、綺麗に整地された広場へと出ました。
 急に視界が開けて、目に入ったのは向かって左側に建つフィドル城と、その前方に佇む大きなフィドル湖。
「わ、あ……」
 アリーチェは思わず息をのみ、足を止めてしまいます。
 外壁は窓を除いた全てが大理石製。月の光に照らされ全体が青白く染まっていて、何だか触れてはいけないような、退廃的、神秘的な雰囲気が漂っています。
 百年以上も前にうち捨てられ、灯る明かりは一つもなく。今となっては、住むのは人目を忍ぶ犯罪者だけ。
 あちこちが風化し、ひび割れた廃城に、煌びやかな日々が戻ってくることは永遠にありません。
 このまま太陽や雨に晒され、ゆっくりと時間をかけ朽ちていくのを待つだけでしょう。
 なんとなく感傷的な気分になったところで、ふと我に返ります。
「それどころじゃなかった。リズさんは、と。いたいた」
 目をこらすと、大きな馬小屋の軒下に人影が。
 外套を脱ぎ捨てているリズの隣には、既にハミットが立っています。
「おまたせしました」
「随分と遅かったのね?ネズミがいたとか?」
「いえ、ただお城がすごく綺麗だったので、見惚れてしまって」
 アリーチェは軒下へと入ると、まずは抱いていたぴよぷーを地面に降ろします。次に不要となった外套を脱ごうとしますが、さすがにリズやハミットに倣って地面に脱ぎ捨てることは躊躇われます。
 視線を巡らせると、丁度良い具合に馬小屋の外の木柵が目に入り、脱いだ外套を適当に折りたたんで掛けました。
「ぴい……」
 ぴよぷーは小さな羽を使い、顔を扇いでいます。
 通気性の悪い外套の下でアリーチェと密着していたせいで暑かったのでしょう。
「暑かったのね。ごめんごめん」
 アリーチェもその場にしゃがみ、手うちわでぴよぷーを扇いでやります。ぱたぱたとやっていると、横にいたハミットが話し始めました。
「しかし、初めて間近で見たが……こいつはかなりでかいな。探索に時間がかかりそうだ。侵入はどこから?」
 尋ねられたリズは顎で馬小屋の奥を示します。
「この奥から、城に繋がっている緊急時用の地下通路へ潜れるわ。
 表から行ってもいいけれど、どうせそんなわかりやすい場所にはいないでしょうし」
 準備はいい?と目だけで問いかけるリズに、アリーチェとハミットは黙って頷きます。リズは軽く頷き返すと、踵を返して馬小屋の奥へと歩いて行きます。
「こっちよ、着いてきて」
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