描けば描くほど粉が出る
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序章:ちいさな冒険 その8

 傷ついた狼と別れ、アリーチェとぴよぷーは目的地のリロフォンへ向かいます。
 といっても町は黒の森の目と鼻の先。機嫌良く鼻歌を一曲歌い終わる頃には、町に二つある入り口のうち、東側にあるほうの門の前に到着しました。
 気のよさそうな壮年の門番に挨拶し、門の通行許可をもらいます。
 昼間だけ開放されている重厚な石造りの門を抜けると、リロフォンの町はいつも通りの様相でした。
 東西の門を繋ぐようにして舗装された大通りの左右には、リロ草を使った特産品をはじめ様々な物売りの店や、特産品を買い付けに来る商人のための宿屋などが軒を連ねています。
 目的のパン屋はそんな大通りの一番奥で、入ってきた東門とは逆の西門のすぐそばです。
 辺境なだけあって人の数はまばらですが、端で呼び込みをかける人、行商人や買い物客、走り回る子供達――そんな人達にぶつからないよう、気をつけながらアリーチェが大通りを歩いていると、ちょうど真ん中に差し掛かった辺りで突然声をかけられました。
「アリー!じいちゃんと一緒じゃないの?」
 声の主はパン屋の一人息子、トディでした。道の向こうから、アリーチェよりも二つ年上の少年が小走りで駆け寄ってきます。
「わ、トディ!うん、きょうは一人……」
「ぷー」
「……じゃなくて、ぴよぷーと二人でおつかいにきたのよ」
 一人で、と言いそうになったところでぴよぷーの冷たい視線を感じ、慌てて言い直します。
「え、じいちゃんぬきで来たの!?」
 トディが驚き目を真ん丸に見開きました。アリーチェは拳を口にあてて咳払いを一つ。森の中での失態は棚に上げ、誇らしげに胸を反らします。
「そりゃー”みらいのこくばんつかい”ですから」
 トディはすっかり感心して、しきりに「すげー」と連呼しています。
 久しぶりの友人との会話をもう少しゆっくり楽しみたいところですが、今はおつかいという名の未来をかけた試験中。そういうわけにもいきません。
「パンとおにくを買ってかえらなきゃいけないの。
 もうお昼すぎちゃったし、いそがないと」
 日が落ちると黒の森の危険は更に増します。おまけに今はまだ雪解け前。日没の時間も早く、できるだけ急いで買い物を済ませて帰りたいものです。
「おう、じゃーまたな!」
 手を振って別れると、トディは小走りで通りから横道へと姿を消しました。
 アリーチェも足早に歩き出します。
 右手にある店は煙突から白い煙をもくもくと立ち上らせ、焼いた肉のいい匂いが。左の雑貨屋の軒先には可愛いリボンが並べられています。
 あちこち目移りするものばかりですが、アリーチェはぐっとこらえてパン屋へ急ぎます。
 通りの残りの半分を歩き終え、ようやくこぢんまりとしたパン屋に着きました。
「こんにちはっ!」
 騒がしいベルの音を立て大きな両開きの扉を開けると、なんともいえない香ばしい匂いがアリーチェの鼻をくすぐります。
「おや、アリーチェじゃないか。今日はオーギュストさんとは一緒じゃないのかい?」
 ふくよかな体をゆさゆさと揺らし、パン屋のおばさんが奥から出てきました。
 この店の夫婦はおじいさんの昔からの知り合いで、男手一つで育てられているアリーチェを何かと可愛がってくれる人達です。
「うん、きょうはぴよぷーと二人でおつかい!」
 トディと交わしたのと同じような会話をしながら、トレーとトングを手にパンの陳列棚の前で立ち止まります。
 おじいさんからの指定は”リロ草のパン”ということだけ。この町の特産品なだけあって、生地にリロ草を練り込んだパンだけでも十種類以上あります。
 アリーチェが豊富なパンの種類を前にうんうんと悩んでいると、入口のベルが再び騒がしい音を立てました。
 入ってきたのはつい数分前に別れたばかりのトディと、見知らぬ銀髪の女の子。
 年の頃はアリーチェやトディと同じぐらいでしょうか。
 さらさらと流れる銀髪を頭の後ろの大きな赤いリボンで結び、首には白黒の暖かそうなしましまマフラーを巻いて、肩からは白い板を提げています。
 女の子はアリーチェの姿を認めると、何やら険しい目つきでこっちを睨んできます。
「いたいた、アリー!なんか会いたいって子がいたから連れてきたよ」
 そう言ってトディは銀髪の女の子を顎で指し示しました。
 銀髪の女の子は宝石のような緑の瞳に相変わらず剣呑な光を宿し、じっとアリーチェの顔と肩から提げたこくばんとを凝視しています。
 どこかで何か恨みを買ったことがあるのでしょうか。アリーチェは困り顔で記憶を辿りますが、いくら思い出そうとしても女の子の顔に見覚えがありません。
 仕方なく、申し訳なさそうに尋ねます。
「……ごめん、会ったことあるっけ?」
「あなたが、アリーチェ?オーギュストといっしょに森にすんでる?」
 女の子はアリーチェの質問には答えず、冷たい目のままで逆に尋ねてきました。
 名前を知っているということは、おじいさんの知り合いでしょうか?
 突然の質問に、アリーチェはしどろもどろになりながら答えます。
「え、うん、そうだけど……」
「こっそり出てきてよかった。
 あなた、あたしとしょうぶしなさい!」
 女の子はアリーチェの言葉が終わるか終わらないかのうちに、アリーチェに向かって人差し指をびしっと突きつけました。
「しょ、しょうぶ?」
 わけがわかりません。アリーチェとパン屋のおばさん、それから女の子を連れてきたトディも、三人揃って困惑の表情を浮かべています。
 女の子は続けます。
「そう、しょうぶよ!
 おとうさまの代わりにあたしがあなたにかって、はくばんのほうが上だってしょうめいする」
 父親?はくばん?何のことでしょうか。アリーチェには全くわかりません。
「は、はくばんって?」
 アリーチェの質問に、女の子の眉がつり上がります。
「あなた、はくばんも知らないの!?それでもオーギュストのこども?
 ……いいわ、おしえてあげる。これがはくばん」
 女の子は、肩から提げた白い板を両手でそっと持ち上げました。
「あなたのこくばんと同じ、そうぞう力からあらゆるものを生み出すことができる」
 こくばん以外にも、使用者の描いた絵と想像力から物を生み出す力を持つものがある。
 アリーチェにとって、初耳な話でした。
 勿論、おじいさんからそんな話を聞いたことはなく、唯一おじいさん以外の人と触れ合えるリロフォンの町では、はくばん使いはおろか、こくばん使いすらも滅多と見かけません。
 アリーチェはトディとおばさんの顔を交互に仰ぎました。
「トディ、おばさん、しってる?」
「みたことない!すげえ!」
「見ることはあるけど……年に一度くらいかねぇ。
 アシアンならともかく、ここは田舎だからどっちかというとオーギュストさんに用があるこくばん使いしか見ないね」
 三人の反応に、女の子は深いため息をつきました。
「ほんとうに知らないのね。
 むかし、おとうさまとオーギュストはライバルだったのよ。けれどオーギュストはこくばん使いをいんたいして、森にひきこもってしまった。
 『現役じゃない奴に勝負を挑むのは卑怯だ』っておとうさまは言ってるわ。
 でも、あたしとあなたがしょうぶするならもんだいない」
 女の子は再びアリーチェに人差し指を突きつけました。
「アリーチェ、あたしとしょうぶしなさい!」
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